ぷっとろぐ

会社員の備忘録。

本で知識を深めるだけでは借り物の知識であってあなたではない

モノを買っても幸せにはなれない。

これは本を読んで身につけた知識だ。

 

ボクは年間通して、200冊ぐらい本を読む。

kindleを使い、購入する時もあればamazonの読み放題で読んだり様々だ。

本を読むことでたくさんインプットしている。

知識をたくさん蓄えている。

新しい知識に出会った時はめちゃくちゃ嬉しい。新しい世界が見えたかのような清々しさがあって生きてることに感謝するときもあった。

それだけじゃない。

人の考え方を知ることのできる本はボクに新しい発見をくれる。ネガティブな時にはたくさん元気をもらった。

読書をすることはボクにとってガソリンのようなもので生きること、そのものになっている。

 

読書が大好きな理由はとにかく知れることだ。

見たことのない世界を見るのと一緒。 

本の中には新しい発見があるんではないかとわワクワクする。

読書はとにかく刺激的だ!

 

読書から得た知識は借り物である

 

ボクは基本的に有名ブロガーがオススメしている本や書店でビビっときたタイトルのもので本を読むことが多い。

そんな本の内容がボクの頭の中にインプットされる。

人との会話の中で、読書で身につけた知識を元に口が動き出す。

誰もが知ってる人にボクがなりきって答えている。

それはインプットできていて素晴らしいことでもある。だかその反面、アウトプットする場で借り物の知識で自分ではないんじゃないか…と考えてしまうことがある。

ボクのいう借り物の知識とは著者の実体験が元になっていてボクの実体験が元になっていないということ。

だから借りものだ。

借り物の知識でも具体的な説明をしてあたかも自分の意見のようにすることはできる。

でも、その話に対する熱はまったく相手に伝わらない。  

それもそうだ、いくら具体的でもボクの実体験が元ではないんだから。

 

借り物の知識は過程を知らない

 

以前、ビジネス書を読んでいる時、

「人のために生きることが自分の幸せにつながる」と書いてあった。

ボクはあーそうなんだ!って納得した。

自分の欲(稼ぎたい、持ち家欲しい)をむき出しにするよりそんなものはフタをしてとにかく人のために生きていこう!そう思った。

でも結果的にボクは今、自分の欲を満たすために生きている。

多くのビジネス書は自分の実体験をもとに書いている。注意しなければならないのはそこには過程が書かれてはいない。

「最初はこうだった。でもそれをやってみてやっぱりこうだった。だからこういう考えに至った」というその人の人生や思考の流れがない。

ボクたちは本を読むことでその人がどう思ったかという過程を知ることはできない。 

どういう生き方をしてきたら、人のために生きることが幸せにつながるのかが書かれてないからわからない。 

それなのに、人のために生きることが幸せにつながるんだとインプットすることは危険だ。

自分の人生に照らし合わせ、そう理解するならいい。ただ納得もしないのに「発信力のある人がそう言ってるならそうなんだ」的な自分の頭を使わない人間は一生借り物の知識で生きていくことになる。

 

知識によって自分の欲にフタをすることだけはしたくない

 

本というものは素晴らしい。知識の宝庫だ。

ただ、一線ひいて距離を保つことが必要なのかもしれない。

一線をひくとは発信力のある人の意見でも疑ってみるということ。

 

ボクはボクのために生きたい。それがボクの本心だ。

発信力のある著者が人のために生きれば幸せになれると語ろうとも、それが事実だとしても、ボクは自分の本心に従う。

本から得た知識で自分の欲にフタするのは本当につまらない人生だ。

もしかしたら著者も自分のために生きてきて満たされ、満たされたからこそ人のために生きることが幸せだと言ってるのかもしれない。

だとしたらなおさら自分は自分のために生きるべきだ。

知識は借り物だ。借り物は使ってやるべきだ。

本に書いてあることが本当かどうか自分で試すからこそ人生はおもしろい。