「義理堅いね」ってまったく褒め言葉に感じない
義理は人として守るべき常識、ルール、道徳。
人情は人としての自然な感情。
どちらも大切なことだけどボクは義理よりも人情を大切にしていきたい。
義理を大事にするあまり人情味がなくなることは避けたい。
あなたは義理堅いねって言われて嬉しい気持ちになりますか?
ボクは全くなりません。というかそんなこと言われたら少しショックです。
ボクがコンビニ店員だとして、今にもフラフラで倒れてしまいそうな人が目の前でパンをポケットに入れたら「それ万引きですよ?」とは言わない。てか言えない。レジで金の計算が合わないなら自分で出す。
極端なたとえですけど、義理を大事にして世の中の常識やルールを守ろうとするあまり、自分を見失ってる人って多いような気がします。
義理がだんだんと義務なんじゃないかと感じてきた
義理って小さい頃から大事なことだと家族だけではなく世間から習ってきたと思います。
「してくれたから返したい」そう思うなら良いことだけど、
ボクは「してもらっちゃったから返さないといけない」になっていました。
常識やルールもとりあえず守らないといけないから守っていた。
そこには感謝も自分の考えも一切ありません。
世の中が決めた道の上をただ歩いているだけです。
義理を大事にするあまり人生を台無しにしていないか
ボクは以前までは義理をとても大事にしていました。でも義理は意識するあまり「しなければならない」「してくれたら返す」が常に頭の中でいっぱいになっていました。
義理という考えで、自分の心の声を押し殺していました。
「本当はこう思う。でもこうしなければならない」っていう思考になってませんか?
これは例え話ですけど、
ゾウは逃げないようにチェーンで繋がれています。でも本当はそんなチェーンを壊すぐらいのパワーはあります。でも小さい頃からそんなパワーはないと教え込まれてるから大きくなっても壊せません。
常識やルールといった義理を小さい頃から大事にしなさいと教え込まれるあまり、それに縛られて自分の可能性にフタをするなんて人生もったいなさ過ぎます。
心の声に従うためには義理を捨てる覚悟をもつ
ボクもあなたも大事なのは自分の心の声に従って生きることだと思います。
心の声に従うとは自分の本音を認める。そして実行することです。
昔からの名残、常識、道徳、ルール、が自分の心の声と違うならどっちを大事にしていますか?
ボクは義理を捨ててでも自分の心の声に従いたい。人間味たっぷりでいたいと思います。
義理1:人情9ぐらいがちょうどいい
ボクは義理なんて礼儀だけでいいと思います。ありがとう、ごめんなさいが言えれば十分。
あとは人情という自然な感情を爆発させて常に心の声に従って生きればいいと思う。
「お前には義理はないのか?」ってボクからしたら最高の褒め言葉。
そこを目指して頑張ります。